研究计划书代写 文书代写中心 宋代巴蜀禅林と日本禅宗との関係について―圜悟克勤が日本禅宗に与えた影響を中心に

宋代巴蜀禅林と日本禅宗との関係について―圜悟克勤が日本禅宗に与えた影響を中心に

要旨 中国の奥地巴蜀の地域に、日本の禅林は特別な思いを持った。巴蜀と日本 とはいわば禅宗文化圏の西端と東端であ…

要旨
中国の奥地巴蜀の地域に、日本の禅林は特別な思いを持った。巴蜀と日本
とはいわば禅宗文化圏の西端と東端である。宋代、そこにどのようなかかわり
が生じたのであろうか。小論は、巴蜀禅匠である圜悟克勤の墨跡と著作『碧巌
録』及び日本に於けるその影響を手がかりに、両者のつながりを考察してみる
ものである。
圜悟克勤は中国の禅宗史上に大きな貢献を果たした宋代の巴蜀籍の禅師で
ある。彼は後世に貴重な資料をたくさん残した。特に中国の禅文化が至高の境
地に達し得たのは主に彼の『碧巌録』、『圜悟心要』、『圜悟克勤禅師語録』
といった禅籍のおかげであると言われている。宋代の巴蜀禅林と日本禅宗との
関係を考察するには圜悟は看過してはいけない存在だと言ってよい。小論は中
国と日本で収集した史料と先行研究を踏まえ、圜悟克勤という人物を手掛かり
に、宋代巴蜀禅宗の禅系と主旨を掘り出し、禅林における巴蜀と日本との接点
を見つけ、巴蜀禅林と日本禅宗の関係を文化・思想という二つの方面から研究
する。特に宋代巴蜀禅林が日本禅宗にどのような影響を与えたか探ってみたい。
小論は五章から構成されている。
第一章では、禅宗、特に宋の中国と中世の日本における禅宗の発展と中日間
の僧侶の交流状況を説明しながら、日本禅宗における巴蜀禅林の重要さを論じ
る。そして、巴蜀禅林における圜悟の位置づけも考えてみたい。
第二章では、圜悟の生涯と法系などをたどり、圜悟の著作と語録と墨跡が日
本禅林でどう受容されたか一層深く考察する。
第三章では、禅林第一書と言われる『碧巌録』が日本禅林でどう受容された
かを述べる。後世禅林における忌わしい評判しか得なかった公案禅に対して、
圜悟が肯定な態度を持って、公案の解釈、頌古を結び付け、「不立文字」を「大
立文字」に引き換え、公案禅の風を禅林に巻き起こした。後に、彼の評唱した
公案が弟子たちに記録され、『碧巌録』となった。後世禅林はずっとその書を
手本として、類似の公案集を作ってきた。
第四章では、圜悟の禅思想を表している『碧巌録』を手掛かりにそこに提示
されている圜悟の思想が日本禅界にどのように受容され、どのような影響を与
えたのかを検討する。圜悟の思想を切り口に、巴蜀僧の禅思想が日本禅宗にど
のような影響を与えたかを考えてみる。
最後に第五章では、日本側の視点から日本と巴蜀地域とはどの関係を持って
いるかを補充的に説明して、本稿を終える。
文化交渉学の視点から中国巴蜀禅林と日本禅林の関係を考察する場合には、
まず圜悟克勤禅師という存在を思い浮かべるものである。圜悟克勤禅師は日本
禅界の文字禅や茶道などの形成と発展に重大な意義を持っている故に、本稿は
圜悟克勤禅師と日本禅宗との関係を手がかりに、巴蜀禅林と日本禅林との文化
交渉の実像を解明してみることを目的とするものである。そのために中国と日
本の資料にもとづいて、宋代巴蜀と中世日本の間における文化交渉の主な史実
をたどりながら、圜悟克勤と日本禅宗との関係を切口に、巴蜀禅林と日本禅界
との関係を考えてみることにする。
キーワード:宋代、巴蜀、禅宗、圜悟克勤、日本

目 次
摘要 .........................

...........i
要旨 .........................

..........ⅲ
謝辞.........................

...........v
目次.........................

..........ⅵ
はじめに……………………………………………………………………………‥1
第一章 宋代中日禅林における禅宗の発展……………………………………3
第一節 禅宗とは何か………………………………………………………………3
第二節 臨済宗とはなにか…………………………………………………………3
第三節 臨済宗が中日禅林でそれぞれの発展……………………………………4
第四節 中国の臨済宗が日本禅林への流伝………………………………………5
第五節 宋代巴蜀禅林と日本禅林との交流………………………………………5
小結……………………………………………………………………………………8
附録……………………………………………………………………………………9
第二章 日本禅林における圜悟克勤の影響……………………………………10
第一節 圜悟克勤の生涯…………………………………………………………10
第二節 圜悟の法系………………………………………………………………11
第三節 日本禅林における圜悟の著作と語録の受容………………………12
第四節 圜悟克勤の墨跡が茶禅一味との関係………………………………13
小結………………………………………………………………………………15
第三章 日本禅林における『碧巌録』…………………………………………16
第一節 公案禅の現れ…………………………………………………………16
第二節 圜悟が公案に対する態度……………………………………………18
第三節 『碧巌録』の紹介……………………………………………………20
第四節 日本における『碧巌録』の影響………………………………………23
第五節 『槐安国語』と『碧巌録』との比較…………………………………24
小結………………………………………………………………………………26
vii
付録………………………………………………………………………………27
第四章 圜悟克勤の禅思想が日本禅林へ与えた影響…………………………29
第一節 『碧巌録』における無の思想………………………………………29
第二節 圜悟の思想と日本禅宗………………………………………………33
小結………………………………………………………………………………35
第五章 日本禅林にとっての巴蜀………………………………………………36
第一節 巴蜀の地理的特色…………………………………………………36
第二節 円爾弁円にとっての巴蜀…………………………………………36
第三節 巴蜀禅僧蘭渓道隆の渡日……………………………………………37
第四節 日本から入宋した初期の禅僧と巴蜀………………………………38
小結………………………………………………………………………………39
おわりに……………………………………………………………………………40
注釈……………………………………………………………………………42
参考文献……………………………………………………………………………44

はじめに
古代の巴蜀は即ち現代の重慶と成都の地である。宋代には、禅宗は今日の江
蘇省と浙江省を中心として大発展を遂げた。その一核心となったのは、楊岐派
の巴蜀籍名僧圜悟克勤である。こういう意味では、西南地域の奥地にある巴蜀
は、中国禅宗の発展にとって不可欠な存在である。そして、巴蜀の禅匠たちは
中国だけでなく、日本の禅宗にも多大な貢献を果たした。たとえば、圜悟が巴
蜀禅系の代表として、公案禅、禅思想、禅文化の面で日本禅林に大きな影響を
もたらした。それに圜悟の法嗣としての蘭渓道隆、無準師範といった禅僧たち
もいろいろな面で日本禅林に大きな影響を与えた。だから、本論は圜悟克勤が
日本禅林に与えた影響を中心に宋代の巴蜀禅林と日本禅林との間の思想、文化
の交流を考察したい。
本研究に入る前に、まず代表的な先行研究をみてみよう。芳賀幸四郎氏の『中
世禪林の學問および文學に関する研究』1は中世禅僧の文化的な影響力につい
ては論じている。玉村竹二氏の『五山文學』2は歴史学的な立場から、五山の
歴史的な位置付けおよび文学との関係の解明を試みている。文学側からのアプ
ローチとしては朝倉尚氏の『禪林の文學』3が注目され、禅僧の詩文集・抄物
といった作品と解説の全体像を追究している。しかし、こうした研究は中世禅
宗に対する全般的な考察が主となっている感じがあり、禅宗思想の地域的な広
がり、特に中日禅宗間における文化交渉の実像については更なる考察が必要で
はないかと考えられる。
さらに中国巴蜀地域の禅宗に関する研究として、いままで龍顕昭氏の編纂に
よる『巴蜀仏教碑文集成』4、洪修平氏の「禅宗分化と四川禅系の特色論」5、
祁和暉氏の『巴蜀禅系論略』6などがある。だが、それらの研究はいずれも宋
代以前の巴蜀禅林の状況を取り扱うもので、宋代の禅宗にはそれほど触れてい
ない。なお、宋代の禅宗といえば、圜悟は挙げなければならない存在なのだが、
「文字禅」を提唱したせいか、後世の学者に大いに非難され、今になっても彼
の思想が系統的に研究されていないのが確かである。
上述の研究現状を踏まえて、その不足を補って中日禅宗における文化交渉の

実像を探るのが小論の狙いである。そのために、中国の宋・日本の中世に焦点
をあて、圜悟と日本禅界との関係を考察し、それに巴蜀禅界の他の禅匠の日本
との交流を兼ねて、宋代巴蜀禅林と日本との繋がりを検討していきたい。そし
て圜悟の教義や思想がどのような形で紹介され、日本禅林で理解され、そして
定着し、浸透していったのかを考察してみる。また、圜悟のおもな著作とその
中で示されている思想が日本の中世文化にどのような影響を及ぼし、どのよう
に日本社会に受容されてきたのかを明らかにしたい。

第一章 宋代中日禅林における禅宗の発展
第一節 禅宗とは何か

禅宗は、大乗仏教の一派である。禅宗は不立文字(ふりゅうもんじ)を原則
とする。そのため禅宗では中心的な経典を立てず、教外別伝 (きょうげべつで
ん)を原則とし、師資相承(ししそうじょう)を重視し、そのための臨機応変
(りんきおうへん)な以心伝心の方便(ほうべん)など、種々の特徴をもつ宗
派である。禅は中国では唐代になって隆盛を極めた。やがて、北宋代になると、
「五家(ごけ)」が成立し、さらに、臨済宗の中から、黄龍派と楊岐派の勢力
が伸長し、「五家」と肩を並べ、禅林は「五家七宗(ごけしちしゅう)」7に
なった。日本の禅は殆ど中国の宋・元の時代に学んで輸入されたものである。
日本に伝わった禅宗は二十四流に分類され、内に二十流は臨済宗に属する。そ
して、宋の時代に日本に伝わった禅宗は全部臨済宗であるから、本稿は臨済宗
に焦点をあてて、宋代(日本ではおよそ平安末期から、鎌倉時代にかけての時
期にあたる)巴蜀(現四川・重慶)地域の禅宗思想が日本禅宗に与えた影響を
考察していきたいと思う。
第二節 臨済宗とはなにか
臨済宗とは中国と日本との、仏教の一派である。唐末の人、臨済義玄(ぎげ
ん)を祖とし、参禅問答(もんとう)による自己究明を宗旨(しゅうし)とす
る。公案に参究することにより見性(けんしょう)しようとする「看話禅8」
(かんなぜん)がその特徴として認識されるようになる。
日本には栄西(1141 – 1215 年)以降、中国から各時代に何人もの僧によって
持ち込まれ、様々な流派が成立した。黄檗宗(おうばくしゅう)も元来、中国
臨済宗の一派である。歴史的に鎌倉幕府・室町幕府と結び付きが強かったのも

特徴の1 つで、京都五山・鎌倉五山のどちらも全て臨済宗の寺院で占められて
いる。
三節 中日禅林における臨済宗の発展
日本の『国史大辞典』によると、宋の中国禅林における臨済宗の発展は以下
の通りである。北宋(ほくそう)には、黄龍派の勢力が衰え、楊岐方会(よう
ぎほうえ)の系統が勢力を伸ばし、七宗の一に数えられるまでになった。楊岐
派は楊岐方会の再伝弟子五祖法演(ごそほうえん)の門下弟子から隆盛になっ
てきた。その門下で圜悟克勤(えんごこくごん)は禅界で一番名高く、仏鑑慧
懃(ぶっかんえごん)、仏眼清遠(ぶつげんせいえん)とともに、「三仏」と
称される人である。南宋になっても、楊岐派の勢いはとどまらず、克勤の門弟
子、大慧宗杲(だいえそうこう)は多数の門弟を集め、大慧派を形成した。
その他、虎丘紹隆(くきゅうじょうりゅう)の虎丘派、虚堂智愚(きどうちぐ
う)を出した松源派(しょうげんは)、無準師範(ぶじゅんしはん)を出した
破庵派(はあんは)なども活躍した。
それに対して、日本禅林の発展はどうなるのか。その時期には禅宗の禅刹(ぜ
んさつ)は鎌倉と京都を中心に、武家(ぶけ)や皇室の帰依で、次々に創せら
れた。のちそれらの禅刹は室町幕府の成立とともに、夢窓疎石(むそうそせき)
を開山とする、天竜寺と相国寺(しょうこくじ)を軸に再編され、新しい五山
十刹制(ござん・じゅっさつのせい)下に置かれた。それを背景にして、日本
臨済宗の主流は、大慧とともに圜悟に次ぐ、宋朝臨済宗の少数派であった虎丘
紹隆(1077―1136)の系統である。江戸時代の初め、隠元隆琦(いんげんりゅ
うき)の来朝を期として、従来は五山の外に置かれた大徳寺(だいとくじ)と
妙心寺(みょうしんじ)の新しい動きから、中国・日本の禅の流れを総括し、
二十四流とする説が現れる。栄西の黄竜宗、道元の曹洞宗、その他を除くと、
約二十流が虎丘の下に属する。そして日本に伝わった二十四流のうち曹洞系の
三派を除けば、他はすべて臨済系に属している。しかも栄西禅師以外は、圜悟
をはじめとする楊岐派の禅を伝えている。圜悟とその弟子らは日本で非常に名

高い存在であった。

第四節 日本禅林における中国臨済宗の流伝
中日両国における臨済宗の発展をみれば、両国禅林間に一脈相通ずるものが
あるということが分かる。しかし、その禅脈がどういうふうに続いてきたのか、
両国の禅林における臨済宗各自の発展と臨済宗の法系図をあわせてみれば、明
らかになれると思う(臨済宗と黄檗宗の公式サイトには臨済宗の法系図が公開
されている。ご参考までに本章の末に附録として添付しおく)。
臨済宗の流伝の歴史と臨済宗の法系図をみれば、分かるように、中国では、
楊岐派は楊岐方会の再伝弟子五祖法演の門下弟子圜悟克勤をはじめの「三仏」
の時から隆盛になってきたのである。続いて、圜悟に次ぐ、宋朝臨済宗の少数
派であった虎丘紹隆(こきゅうじょうりゅう)の系統が日本臨済宗の主流とな
った。そのゆえ、日本禅界の多くは圜悟の住持していた寺(昭覚寺)を祖庭と
するのである。圜悟とその弟子は日本の禅界に多大な影響をもたらしたと思わ
れる。
さらに、法系図に載っている禅僧の生涯を調べてみれば、分かるように、圜
悟克勤と圜悟の師である五祖法演及び圜悟の法嗣である無準師範、蘭渓道隆な
どはいずれも宋の巴蜀生まれの禅僧である。圜悟克勤をはじめとする法系には
中日禅宗思想の交渉に不可欠の人物が多いと思われる。

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